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2018年10月30日

ダラダラした朝の会・帰りの会はやめましょう!

小学校ならどのクラスでもやっている

朝の会・帰りの会

なぜやっているのか、説明できる先生はいるでしょうか?
学習指導要領に「朝の会・帰りの会をやりなさい」と規定されているわけではないのに、やっている理由は、何度もお伝えしているように、

ずっとやってきたから

理由はそれだけです。

先生が子どもの頃からやっていたから

それだけです。

朝の会、帰りの会をやる意義は
・学校生活のリズムを作る
・話を聞く姿勢を身に付ける
・担任のメッセージを伝える
・心身の状態を把握する
・1日の見通しをもたせる
・1日を振り返る

という大義名分があるようです。

この中でも
「健康観察」や「担任からの連絡」
は必要でしょう。

では、実際の朝の会・帰りの会はどうなっているでしょう。

【朝の会】
 ①朝の挨拶
 ②健康観察
 ③今日のめあて
 ④朝の歌
 ⑤1分間スピーチ
 ⑥係からの連絡
 ⑦先生から


【帰りの会】
 ①今日のめあてを守れたか
 ②今日のよかったこと
 ③今日の困ったこと
 ④係からの連絡
 ⑤帰りの歌
 ⑥先生から


それぞれプログラムはこんなもんでしょうか…。

朝の会の大原則は、

1時間目の授業に影響しない

ということです。しかし、

1時間目が始まってから歌声が聞こえてくる
マンネリのスピーチをする
先生の話がいつまでも続く


ということが見られます。最もよくないのは

子どもが健康観察をする

ことです。係の仕事と銘打ってやらせているようですが
本来、先生が子どもの健康状況を把握するための健康観察です。
それを子どもに任せるのはどうでしょうか?
さらに、健康観察カードに子どもが書くために
養護教諭が困っているケースも見られます。
また、そのカードを見て出席簿を付ける担任もいるので
間違って書き写してしまうケースも散見されます。

帰りの会では、

係からの連絡が延々と続く
形式的な「いいこと」発表する
女子が男子の「悪事」を糾弾する


など、いつになったら帰れるの?という学級も多いです。

リズムを作るというのであれば、

朝の会は
「挨拶」「担任が呼名をして健康観察」「連絡」

帰りの会は
「明日の連絡」「挨拶」

これだけでいいのではないでしょうか?
その方が、「しっかり聞き」「時間を守る」子どもに育つと、私は考えます。


  


Posted by nori910 at 19:25Comments(0)

2018年10月23日

学校行事って多くないですか?

学校にはたくさんの行事があります。

学習指導要領の解説にも
「単調になりがちな学校生活に非日常的な秩序と変化を与えることから、年間を通して計画的に実施することによって、児童の学校生活にリズムを与え、節目を付け、より生き生きとした生活を実現することになる。」
とあります。

ようするに、机上の勉強ばかりではつまらない
行事があることで、学校生活が楽しいものになる。

ということです。

しかし、学校行事って多くないでしょうか?

思い付くものを列記していきます。

入学式、卒業式、運動会、学芸会、修学旅行、宿泊学習、遠足、マラソン大会、水泳大会、写生会、版画展、作品展、二分の一成人式、1年生を迎える会、6年生を送る会、音楽鑑賞会、観劇会、◯周年記念式典、参観日、地域公開日、親子レク……

お子さんの学校の年間行事予定表をご覧いただければ
このような行事が目白押しなのがお分かりかと思います。

学校に余裕があった時代はよかったのです。
行事で学級経営をする先生もいました。
全校児童のモチベーションも高まりました。

だから、「何でもかんでも行事を減らせ」とは言いません。

視点を変えます。
学校には、子どもが一年間に授業を受ける時数があります。これを「年間授業時数」と言います。
6年生をれいに例にとりますが、週28時間を積み上げていくと、
1年間で1100時間ぐらいの授業時数になります。

ここから、各教科の授業を行わなくてならない「標準時数」を引きます。
現在の6年生は995時間(980時間+外国語の移行15時間)の授業を受けます。

1100-995=105

ここから、クラブ活動や委員会活動の時間を年間10時間程度引きます。

105-10=95

さらに、インフルエンザによる学級閉鎖や台風などによる臨時休校で休みになる時のための「予備時数」を50時間引きます。

95=50=45

この45時間が行事に充てることができる時間なのです。
行事当日はもちろん、練習の時間も含まれます。
運動会や学芸会、卒業式はたくさんの練習時間を使います。

さらに、2020年から実施される新しい学習指導要領では
6年生の標準時数は1015時間になります。

行事に使える時間は
1100-1015-10-50=25時間
しかなくなります。

そのためにできることは、
①行事を減らす。
②年間授業時数を増やす。

しかありません。

授業時数を増やすためには、
①土曜日に授業をする。
②7時間授業をする日をつくる。
③6時間授業の日を週4日にする。
④1日15分の帯の授業(モジュール)を行う。

方法が検討されています。

行事を減らせば「学校に潤いがなくなり」
時数を増やせば「子どもに余裕がなくなります」

箱の中を整理するか
箱を大きくするか

いずれにせよ、今までの発想や考え方では
乗り切れない現実に直面しています。

いままでそうしてきた

という教員の大好きな前例主義から脱却しない限り

子どもにも、教員自身にも大きな負担を強いることになります。



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Posted by nori910 at 12:24Comments(0)

2018年10月19日

ランドセルは、そろそろ見直しませんか?

ここ最近、重たいランドセルを子ども達に持たせることを疑問視する声が高まっています。

調査によると、重たい日で6kgにもなるとか。
教科書の内容が増えたこと
副教材が増えたこと
などから、ランドセルの中はいつもぎゅうぎゅう詰め。

学校に教科書を置いてかえる、いわゆる「置き勉」の賛否が飛び交っています。

なぜ「置き勉」がダメか?

1つめは、「習慣付け」です。
毎日勉強の復習をして、明日の勉強道具を揃える
この習慣を付けさせるために、教科書類は全て持ち帰らせています。

2つめは、「防犯上」の理由です。
学校の教室はセキュリティが十分とは言えません。
自分のものは自分で管理する観点から、持ち帰りを原則としています。

そして3つめ、これが一番大きい理由です。

今までそうしてきたから

小学生が教科書類を置いてかえる経験を教員がしていないからイメージできないのです。

これは、他のことにも言えますが
6歳で小学校に入学してから、20~50年。
学校という仕組みの中でしか生活してこなかった教員の思考の偏りが大きいです。

さて、ついに9月上旬に、文科省は、
「ランドセルの重量について、適切な配慮をするよう」
各教育委員会に通知
を出しました。

このあと、どうなると思いますか?

教育委員会は各学校に
「こういう通知が来てますよ。学校でも配慮してくださいね。」
といった通知
を出します。

さて、各学校ではどうするか。
校長会で統一するか。学校独自で改善策を考えるか。
通知だから現状維持で行くか。
正解は各学校で考えるでしょう。

ただ、
重たいランドセルを背負い、片手に習字セット、もう片手に図工の作品を持っている子を見たら
日にちを分けて持ちかえらせられないものかな…と思ってしまう私です。

教科書がデジタル化され、タブレットだけの持ちかえりになる日は、そう遠くはないでしょう。



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Posted by nori910 at 06:54Comments(0)

2018年10月16日

担任ごとに変わる【給食指導・清掃指導】 そろそろ統一しませんか?

全国どこの学校にもある「そうじの時間」

これは世界的に見ても、珍しい活動のようです。
では、なぜ日本の学校で「子ども達による清掃」が行われているか

それは
清掃習慣の育成、公共心の育成、勤労体験などの教育効果があるからです。

つまり
清掃は人間形成にとって重要な意味がある


ということです。

さて、皆さんは、自分の子どもの頃に、こんな経験はありませんか?

新学期になって先生が変わると、掃除の仕方が変わる

これはよくあることです。
なぜこのようなことが起こるかというと、

清掃はこうやりましょうという明確な形がないため、先生自身が今まで経験してきた方法で指導するため

なのです。言ってしまえば、

その先生独自のクセ

なのです。
ですから、新学期が始まると、まず、学級に清掃のやり方を教えます。

でも、子ども達からしたら

掃除の仕方のリセット

を行わなくてはならないのです。クラス替えがあったりすると更に大変です。
やり方が変わるということは、発達障害がある子にとってはとても辛いことでもあるのです。

これを解消する方法はただ1つ

清掃のやり方を全校で統一する

だけです。
「なんだ、簡単なことじゃないか。」
と思われますが、
実は、とても難しいことなのです。

なぜなら、先生は

自分のやり方でやりたいから


なのです。

本校の清掃はこのようにやる、と決めてしまえば、
◯新学期に掃除のやり方を教える必要がなくなります。
◯代わりの先生が教室に来ても困りません。
◯やり方が変わって困る子もいなくなります。


これと同様のことが、給食指導にも言えます。

給食当番の人数
配膳の仕方
食事の仕方
残すルール
お替りのルール


これらが先生によってまちまちです。

それを先生の個性と取る人もいますが
先に述べた理由、そして、業務のスリム化という観点から
全校で統一した指導をしませんか?




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Posted by nori910 at 07:12Comments(0)

2018年10月12日

家庭訪問って、誰がやりたいと思っていますか?

学校の中のイベントがどういう目的で行っているか
実はわかっていないまま行っているものも多いです。

「昔からそうだから。」
と考えがちですが、他の方法でその目的を達成できる場合もあります。

例えば、
「理容室にはシャンプー台はあるものだ。」
と思っていますよね。しかし、
「1000円カットの店には、シャンプーがなく、大きな掃除機で吸い取ります。」


切った髪を取り除くという目的のためなら、シャンプー以外でもいいわけです。

話を学校に戻します。
今回、話題にしたいのは、

家庭訪問は必要か?

ということです。

まず家庭訪問必要説から理由を見ていくと
①子どもの家の場所を知る。
②家の中を見て、子どもの生活環境を知る。
③親の顔を知っておく。
④親と教育方針について話し合う。

などが挙げられます。

では、これって別の方法でできないでしょうか?
①地図やグーグルマップで確認できませんか。どうしても、実際に見ておきたいなら、校区内巡視を兼ねて巡回してはどうでしょう。
③最初の懇談会で名札などを付けてもらったらどうでしょうか。そもそも親の顔を全員知っておく必要があるでしょうか。
④親の教育方針を話し合うのであれば、家でなくてもいいはずです。学校でも構いません。

厄介なのが②です。
これはごもっともな意見です。子どものバックボーンを知っておくことは大切です。
しかし、それを知ったからといって、学級経営に役立てている先生がどれだけいるでしょうか。
子どもの生活にまで立ち入って、学級経営できる先生はほとんどいないはずです。
であれば、言葉は悪いですが、家庭訪問は、「家庭の覗き見」にしか過ぎないです。

さてここからは、家庭訪問の弊害について書いていきます。

①家庭訪問は時間を取られる

家庭訪問を行うために、授業時間をどれだけカットしているかご存知ですか?
月から金まで家庭訪問をして、午後の授業をカットしたら8時間。
しかし家庭訪問は5日では終わりませんから、10時間程度はカットしなくてはなりません。
その分、学級で使える時間が減るのです。

②4月は学級経営上、大切な時期

新しい学級がスタートし、最初にいくつかのルールを決めます。
それを定着させていくのが、2~4週目なのです。
実は、そこに家庭訪問があるので、時間割が変則になります。
掃除が簡単清掃になったり、帰りの会がなくなったり…。
せっかく1週目に確認したことが、崩れてしまうのです。
そのまま、GWに突入するので
GW明けの学級の引き締めは大変です。
ベテランのセンセイはともかく、若手のセンセイにとっては
学級崩壊のピンチに陥ります。

③家庭訪問は親も大変

センセイが家に上がるとなれば
掃除をしなくてはなりません。お茶も用意しなくてはなりません。
場合によっては、仕事を休まなくてはなりません。
たかだか15~20分センセイと話すために。
親にとっても家庭訪問は苦痛のはずです。

いったい、家庭訪問は誰のために今も残っているのでしょうか?



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Posted by nori910 at 23:13Comments(0)

2018年10月10日

夏休みの課題は必要か?

前回の「宿題は必要か?」に続いて、家庭学習についての話題です。

今回は

夏休みの課題は必要ですか?


夏休みの期間は地域によって異なりますが、
約40日間(北国では25日間)あります。

学校の先生は、その間、全く勉強しなかったら困ると考え
たくさんの課題を与えます。

◯宿題プリント集、またはドリル
◯日記、絵日記
◯自由研究、工作
◯読書&読書感想文
◯運動の記録(なわとび、水泳、マラソンなど)
◯家のお手伝いの記録


ようするに、学校があるときと同じことを要求するわけです。

夏休みの意義はそもそもなんでしょうか。
「暑いから」「先生も休むため」「学校でできないことをやるため」などなど。
実は、明確な理由はないようです。

では、実際に子ども達がこれらの課題をどのようにやっているか、先生は把握しているでしょうか?
・宿題をもらったら一気にやってしまう。
・最終日に慌ててやる。
・答えを見ながら◯写しする。
・まとめて日記を書く。
・イベントに参加して作ったものを提出する。
近年、「自由研究」や「読書感想文」の代行業者もあるとのこと。

そう考えていくと、夏休みの課題が必要なのか?と思えます。

夏休みの課題は

「学習」ではなく「学び」

に転換するといいのではないでしょうか。

「学校ではできなかった体験をする」
「いろいろな人と触れ合い、将来像や価値観を育む」
「家事や親の仕事を手伝い、職業観を高める」


学力より、広い意味の「学び」のための期間

にする方が、子ども達の将来のためになると思います。

夏休みの課題がなくなれば、先生方にもメリットはあります。
宿題の準備、提出後の点検、工作や自由研究の扱い
それらがなくなれば、業務がかなり軽減されます。

『課題がなかったら、だらだらしてしまう。』
と嘆く先生や親もいらっしゃると思います。

脳科学者の茂木健一郎さんは、次のようにおっしゃっています。

「夏休みの本質は、ぼんやりすること、ほうけることだと思う。ふだんとは違うことをやって、ぼーっとする。そのことが夏休みの価値であって、学期と同じようなことをやるのは、夏休みの趣旨に反している。夏の間は、みーんみーん、ジリジリとぼんやりしていて、新学期とともに「はっ」とするのが良い。」

今の子どもは、昔と違って、学校でたくさんの脳を使っています。
夏休みぐらいゆっくり脳を休ませてもいいかもしれません。



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Posted by nori910 at 14:19Comments(0)

2018年10月07日

宿題って必要ですか?

※前回も書きましたが、不愉快になる方はお読みにならないように。
※あえて極端な書き方をしますが、学校を全否定するつもりはありません。



①担任がやっていること、それ必要ですか?

学級担任が、授業や学級経営で行っていることで
必要がないものはないでしょうか?

まず、最初に上げるのは

宿題って必要ですか?

ということです。

そもそも宿題は何のために出しているでしょうか?
私の経験からすると

・家庭での学習習慣を付けるため
・学校で学んだことを復習するため


だと考えます。

確かに「学習習慣」「復習」……大切ですよね。

ここで考えてみてください。

毎日持ち帰らせている宿題プリントを1~2枚やらせることで学習習慣は付くでしょうか?

きちんと机に向かって一定時間宿題をして、学習習慣を定着させている子は
どれぐらいいるでしょうか?
寝る前に言われて慌ててやったり、学校に来てからチャチャっとやったりする子もいます。

宿題が学習習慣の定着につながっているとは言い難いです。

復習については、一律の宿題を出している限り、十分とは言えません。
同じ計算プリントでも、2~3分で終わらせる子もいれば
理解が不十分で、時間がかかる子もいます。

個別の課題でない限り、宿題の意義が薄いです。

そのような、効果の薄い宿題のために、先生は苦労しています。

毎日宿題プリントを作成・印刷し
提出した宿題の◯つけをします。
宿題忘れの点検や、間違い直しの指導もします。
これを毎日しているのです。

宿題がなくなったら、どれだけ業務が軽減されることでしょう。

その解決策としてITの活用はどうでしょうか。

児童全員にタブレットを持たせ、個別学習に対応したドリルソフトを入れておきます。
その子の学習レベルに応じて学び進めることができますし
苦手な問題を何度も挑戦することができます。
学習した時間も管理することが可能ですし、◯つけも不要です。

こういうプログラムを開発している企業はたくさんあります。
そういう企業を提携をしていくのも一つの方法ではないかと思います。



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Posted by nori910 at 23:11Comments(0)

2018年10月03日

「学校の常識は世間の非常識」……ということもありますよね

私は

学校にある常識をいったん疑ってみる

という視点から投稿をしていきます。
これは、現役で奮闘されている教員を批判するものではありません。
それだけはご理解ください。

私は、「自分の力では無理」と尻尾を巻いて学校を飛び出した人間です。

それでも、一般教員と管理職を経験して
そして、学校を離れて
見えていた、見えてきたことを提案します。

「現実的ではない」「じゃあ、自分でやってみろよ」
ということもあるかもしれませんが、
新たな取組への気付きになれば幸いです。

① 担任がやっていること、それ必要ですか?
② 不要な会議、やめて困りますか?
③ 「やめる」「変える」でミニマムでスリムな学校に
③ 前例踏襲にならざるを得ない現実、そこからの脱却
④ 飾りじゃないのよ校長は
⑤ 学校は先生たちの私物ではない、もっと開放しよう


こんなプロットで毒を吐いていきます。

私が教員になりたての平成ひと桁の時代はパラダイスでした。
実際はどうか分かりませんが
「授業時数を守って」「教科書を最後まで」教えていれば問題はありませんでした。

それが今は
指導内容、指導方法も明確に示され
到達目標もあります
新たに導入しなくてはならない「◯◯教育」もあります。

だからこそ

今までやってきたから
子どもたちのためだから


という崇高な理念は、一旦横においておきましょう。

学校の取組の全てが「子ども達」のためであることは
全国すべての学校、すべての教員
がもっている理念であると信じています。

しかし、もう詰め込むのは限界です。

スクラップ&ビルドしましょう。

そのために、全ての活動を一度疑ってみましょう。
クリティカルシンキングです。

なにか別の方法、単純な仕組みが見つかると思います。

教員が健康で楽しく教育活動を行える日々が復活することを願って。




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Posted by nori910 at 12:51Comments(0)

2018年10月01日

クリティカルシンキングで、今の学校の取組を見てみよう

「学校が壊れる」という特集が東洋経済で組まれたのが1年前。
いくつかの提案が示されていましたが、相変わらず学校はブラックなままです。



なぜブラックなまま先生方は働いているのでしょうか。
それは、

子どものため

という神聖なるお題目のため、やることを削らず、増やし続けてきたからです。

もう1つは、

去年もやっていたから

という全く根拠のない理由で続けられている取組がいくつもあるからです。

そう考えると、
「これは何のためにやっているの?」
「これって学校でやるべきこと?」
という取組もたくさんあります。

今こそ、学校の教員だけでなく、社会のみんなが
学校の取組に疑問をもち
クリティカルシンキング
見直す必要があるのではないでしょうか?


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Posted by nori910 at 21:40Comments(0)